書くことの心理的な効果は世界中で研究結果があがっている。
ブログとは関係なく「書くこと」がもっとも記憶できる、整理できるなんて、おそらく大昔から同じ効果だと思います。
まずは書く
考えず、感情の赴くままただ思いついたことを呼吸するように書いてみる
本書は、心理学・脳科学・行動科学などの科学的根拠を踏まえ、
「書き出す」「片づける」「習慣化する」という3ステップから
人生を変える書くメソッドを「感情ジャーナル」として体系化した1冊です。
本書で言う書く瞑想とは、書きながら自己対話を行うプロセスのことで、いったん思考を脇に置いて、感情の赴くまま、ひたすら書き出しながら、
連想的に立ち現れてくる言葉をつかまえます。
ポイントは思考ではなく、感情にフォーカスすること。自分の内側の声にそっと耳を傾け、
呼吸するように書き出しながら、
心と直感から湧き上がる感情を芋ずる式に引っ張り出していきます。
思考優位の自己分析とは異なり、思いつくまま書き出すと、
自分の価値観、願望、好きの源泉を見つけることができ、
自分がどんどん明確になっていきます。
考えることができない、整理できない人というのは、読まない・書かない・話さない・聞かない人でしょう。当たり前ですよね、人としてもった能力を使わずにいれば、社会の中で浮いてしまうのは自然なことです。
口数が少なくても読む人、聞き分けがなくても書く人というのは、彼らの居場所が確保できます。いざとなれば知識もあるし、建設的なことも言えるでしょう。
しかし考えることができない・整理できないというのは、もはや単純に考えることを放棄しているわけですね。
教養のない状態で知ったかぶったり、言い訳をすればもっと墓穴を掘ります。バカが露呈するのです。それを数回でも重ねれば申し訳なく思い「ちゃんとしなきゃいけない」という自覚をもつのですが、ずっとズルズルとそれっぽい事を言いながら、それっぽい顔をして社会に隠れてきた人というのは、後戻りができない。
本人は自覚がないので勝手に生きてればいいですが、その人と関わる周囲の人間は大迷惑です。明確な病気や、障害、年齢などが理由であれば周囲は対応できますが、一般的な成人扱いされながらも内面は考えることから逃げる人、でも自分と自分の都合だけを考える人、どれだけ散らかしても整理できない人というのは周囲に害しか与えません。ミスを犯す以前に、周囲がやること・考えることを台無しにするからです。
こういう人たちを相手にして何かを質問しても、それらしい返答はできません。そもそも筋違いのわけのわからない返し、言い訳、開き直り、適当な嘘などを平気で並べます。つまり頭の中が整理されてない人です。
言うこと・やる事にちゃんとした根拠や道筋がないので説明できないのです。口下手ではなく、考えてないだけが理由です。
では、「思いのまま書け」というとどうなるでしょう。書かないんです。話し言葉そのままで書けばいいのに、他人が見るわけでもないのに、書かないんです。「えーっと」って思ったら”えーっと”って書けばいいんです。それができない。1時間黙り続けて、「考えてる」と即答で言い訳(嘘)するのに、1時間分話したり書いたりすることはできないのです。何も考えてないから整理もできないとバレているのに、いざ白紙が目の前にあると格好つけたまとめ文を書こうとするのもこういう人たちの特徴です。
普段からたくさん書人は、わかりやすくまとまった文章を書けますが、彼らにはできないし、できるとも思われてないのに綺麗ごとにまとめようとします。綺麗に書こうなんて、10年ブログを書いてても、手帳に日記をつけていても書けるものではありません。だからツラツラと駄文を書いて、無駄を見つけて排除し、思考を整理して現在の問題点と今後の問題を考えるのです。小学生でもやることですが、彼らは考えないし、書きもしないうえに、口先だけで片付ける習慣があります。しかし整理されてないのに言葉足らずな口先だけで伝えようとする、しかも考えてないから無責任なので、まったく意味がないのです。
アルバイト先で、周囲を絶句させてでも迷惑行為を続けるパートさんが、会計処理が合わないことに連絡事項に格好つけて文章を残そうと頭を抱えていました。ヒューマンエラーに理由なんてありません、おつりを渡し間違えただけで、そこに文章なんて書いても意味はありません。普段から考えて言動しない彼女が、それっぽい事を書くのは不可能ですし、周囲から信用もありません。普段から読み書き話すことを人として最低限しているなら、周囲からそこまで距離を置かれることさえないのです。(つまりお釣り間違えで責められることもありません)。
たとえば私が職場で何かを教える時、紙の裏に図で説明します。仕事なんてすべてが紐付いて動いているものですからね、体系的に教えないと各ポイントでミスが起きます。ところが考えない人ほど要を得ない引継書を作ろうとしたり、内容の見えないコトバで説明しようとします。考えない人が書く引継書なんて、大した意味はもちません。

どうにかしたいと自覚して悩む人なら、まずはそういう本を探すでしょう。ネットで検索するでしょう。
その解決方法はだいたい「書け」です。鬱の人にも日記を書くことは勧められています。もちろん出来事日記ではなく、何を感じたかを書くのです。
読まない・書かない・話さない人は「感じる」ということがどんどん一般人よりズレていきます。彼らは人並みにニュースなどにそれっぽく意見はできますが、その先の応用で感じることはできません。バレないようにいつでも薄っぺらい会話をして淡々と仕事をこなすか、皆から距離を置かれてしまうか。でもそれは社会にはバレないし、本人が気づくこともない。だからどんどん実態としては疎外されていることに気づく能力さえ失っています。そして人の感情にも鈍感というか、安易な考えで人を扱うようになります。それで迷惑をかけても自覚はできません。
個人が書くこと、感じることに正解も間違いもありません。立場があれば、また、それを表現する場所やタイミング、コトバを間違えるとバッシングされるというだけです。しかし考えない人ほど、そんなトンチンカンなことに囚われて、何も書けないのです。本質的に社会参加しなかったツケは、頭の中と思考のゴミとなり、それを整理する根気もないし、「どうにかなる」とトボけた考えをもっています。
「書けない」というのは言い訳というより嘘に近い。書けないのではなく、書かないだけ。誰も見ない所にさえ書けないなら、「考えてる」という言い訳は大嘘で、思考停止しているので病院に行くべきでしょう。
このような本も「考えてる人」が見つけて購入し、どんどん前に進んでいくもの。「自己啓発」を馬鹿にし、意識高いと揶揄する人は、すでに社会から取り残されて、みんなに迷惑をかけた残骸だけを残し、人や自分には何も残せない人です。
話せば知識や教養はすぐバレます。考えないで生きてきた人が想像する何百倍も簡単に、ちょっとした言葉尻でバレます。似たような環境で生きてきた人だけで形成されたコミュニティでしか成り立ちません。
「ハイハイスイマセンネ、言った私が馬鹿でした」これはバカの極みですね。一度聞けば二度と関わる価値のない人です。何も考えなしに言動し、注意されて開き直る人の名ゼリフであり、この人は害以外に何も生みません。身近にいるなら瞬時に斬るべきです。
田舎の一部ではそんなことも可能ですが、様々な年齢や地域、職歴の人が集まる中でそれは通せません。それを家族の中で通す人というのは家族を崩壊させます。こういう人ほど社会での表ヅラは良く、内面を知る家族にはだらしない人が多いのでしょう(家族間ではキッチリしてるのに、会社ではだらしないって普通いないですよね)。
本当に悩む人は、急いでいる人は「書く」でしょうね。それをいつでも管理できる状態にしたい人はPCを使い、見返したい人はブログ(非公開含む)に書き、手軽にしたい人はアプリを駆使する。
私が思うに、Twitterに大きな意味はありません、でも純粋に思いのまま呼吸するようにつぶやいていれば、思考は整理され、それを組み合わせた文章はそれなりに書けるようになります。書かない人ほど「そんなこと書く必要がない」「何を書けばいいかわからない」「なんでいちいち書かなきゃいけないの」と言いますが、余計なことだけは言う人であることに気づいてない人です。自意識過剰にTwitterの炎上や影響を気にする人がいますが、マーケティングとして使うわけでもないなら、自分のコトバを残し練習する場所として使うのがいいですね。だれも個人のことなんて見てませんから。
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